以下、註釈を付けて翻訳を再掲する。註釈と言っても、勝手な連想を披瀝しているだけのところも多いので、鵜呑みしないように。
十六年、
十六の旗印が結束した、
善き羊飼いが悲嘆にくれる野の上に。
絶望した男たち、絶望した女たちが分裂した、
舞い落ちる枯葉の下に翼を広げて。
十六年とか十六の旗印(banners)とか、何の事か、よく判らない。
歌詞の方はさらに難解で、有名なところでは出だしの
SIXTEEN YEARS, SIXTEEN BANNERS UNITED OVER THE FIELD
の16年が、 BOB DYLAN のレコード・デビューからちょうど16年であることと重なるという解釈ですが、そんなことはどうでも良いと思わせるほどの優れた名曲であります。
黒鯛はチヌ? さんによる解題
ということ。
善き羊飼いは当然ながら、イエス・キリスト。
運命の女神が招く。
私は陰から市場へと足を踏み出した、
商人と盗賊、力の渇望、私の最後の取引は失敗した。
彼女は甘く香る、夏至の前夜、塔の近く、
彼女の生まれた草原のように。
市場と訳したが、market place は(商業の)中心地。日の当たらない所から中心地へ。やはり、レコード・デビューを回想しているのだろう。
後半、まず、彼女って誰だ。運命の女神か。夏至の前夜(midsummer's eve)と言っているところを見ると、妖精かもしれない。塔というのもよく判らない。だいたい、前半と後半はどう繋がるのだ、とか思うのだが、それもこれも、全部わからなくてよい。夏の夜の夢のような、かすかな喪失感を伴う甘美な幻像が眼前に広がれば、それで良しとする。
そして、追憶の物語が始まる。
冷血の月。
大尉は祝典に侍している、
いとしい少女に想いを走らせながら。
彼女の漆黒の顔は言葉の届かない彼方にある。
大尉は落胆しているが、それでも自分の愛は報われると信じている。
冴え渡る月光の下、夜の祝典。大尉は、儀礼的な警護の列にいながら、式典には上の空で、異国生まれの黒い顔の少女の事を思っている。maid を少女と訳したが、侍女かもしれない。
いや、しかし、ここは何処ですか。何時の時代ですか。大尉って誰ですか。何もかも分からないのに、いやに具体的なイメージが髣髴とする。
彼等は彼女の髪を剃った。
彼女はジュピターとアポロの間に引き裂かれた。
使者が黒いナイチンゲールを伴って到着した。
私は階段で彼女を見た、そして彼女を追わずにはいられなかった、
階段を降り、噴水を過ぎて、そこで彼等は彼女のベールを上げた。
場所は前節と同じ宮殿か。しかし、彼女って誰だ、私って誰だ。彼女は大尉が思いを寄せる少女で、私は大尉か。いや、彼女というのは、最初に出てきた草原のように甘く香る彼女か。判らない。判らないが、とにかく「彼女」だ。もう、あまり気にしないでおこう。
彼女の髪を剃ったのは、異教の神官たちに違いない。彼女は、異教の神に、花嫁として捧げられたのだ。
私は躓きながら歩いた。
どぶの中の破滅を馬に乗って通り過ぎた、
いまだに癒えない傷跡をハート形の刺青の下に隠して。
背教の神官たちと不実な若い巫女たちが
私があなたに贈った花束を分け与えていた。
いまだに癒えない傷跡は、原文は stitches still mending 、直訳すると、いまも繕いつつある縫い目。stitches には、痛みという意味がある。
私は彼女を失ったのである。
鏡の宮殿
犬の兵士たちの姿が映っている。
終わりのない道と嘆き悲しむ鐘の音、
住人のいない部屋々々では彼女の思い出が守られ、
天使たちの声が前の世の魂たちに囁きかけている。
まれびと訳では「卑劣な兵士たち」だが、ここでは直訳して犬の兵士たちである。狛犬(こまいぬ)ではないが、似たような彫像で、神話の半獣の兵士だ。何者かに守られたこの宮殿には、しかし、人の姿は見えない。少しも荒廃していないのに、奇妙な寂寥感がただよっている。
彼女についての追憶の物語はここで終わる。
彼女は彼の目を覚ます
48時間の後、日が昇りつつある、
切れた鎖、山月桂樹、落石の近くで。
彼女は懇願する、今度はどういう処置を講ずるつもりか教えてくれと。
彼は彼女を引き離すが、彼女は彼の長い金色の髪にすがりつく。
この女は前節までの彼女ではない。マリアだ。聖母マリアであり、マグダラのマリアであり、マルタの妹のマリアである。彼に最も近かった女、彼をもっともよく理解した女、マリアだ。場所はイスラエルの荒野。mountain laurel はアメリカシャクナゲと辞書には出ているが、言葉の意味をそのまま訳出した。
彼女は、最後の審判者として目を覚ました彼に、罪びとたちの赦しを懇請するが、聞き入れられる様子は無い。
いや、どうして彼女がマリアだと判るのか。それは、この後に続く最後の二節からみて、この彼がイエス・キリスト以外ではあり得ないからだ。
紳士諸君、と彼は言った、
私は君達の組織を必要としない、私は君達の靴を磨いた、
君達の山を移し、君達のカードにしるしもつけた。
しかしエデンは燃えている、君達は除去される覚悟を決めるか、
さもなくば歩哨の交代に立つ勇気を心に持たねばならない。
彼(イエス・キリスト)が「天国への鍵を預けた」教会に対して愛想尽かしをしている。
イエズスは席を立って、上着を脱ぎ、布を取って腰に巻いた。それから、たらいに水をとり、弟子たちの足を洗っては、腰の布でふき始められた。
ヨハネの福音書13章4,5節
もし、あなたたちに一粒のからし種ほどの信仰があれば、この山に向かって、『ここからあそこに移れ』と言えば、山は移るだろう。
マタイの福音書17章20節
わたしに向かって、『主よ、主よ』と言うものが皆、天の国に入るのではない。天におられるわたしの父のみ旨を行なうものだけが入るのである。裁きの日には、多くのものがわたしに言うであろう。『主よ、主よ、わたくしたちはあなたの名によって預言し、あなたの名によって悪魔を追い出し、あなたの名によって多くの奇跡を行なったではありませんか』と。そのとき、わたしは彼らにはっきり言おう。『わたしはおまえたちをまったく知らない。悪を行なう者ども、わたしから離れ去れ』と。
マタイの福音書7章21-23節
フランシスコ会聖書研究所訳の新約聖書
教会というより、もっと広く、クリスチャンを名乗っている者すべてに対する容赦ない最後通牒だ。刈り入れの時、実は蔵に納められ、殻は取り除かれて火に焼かれる。どうするのだ、と彼は迫ってくる。
平安は必ず来る
静穏と光輝とともに炎の車輪に乗って。
しかし我等には何の報いもない、彼女の偽の偶像たちが倒れ、
無慈悲な死が降伏し、その青白い幽霊が
つるぎの王と女王の間に退却する時が来ても。
終末のビジョン。
必ず平安(平和)はおとずれる。炎の車輪は旧約の昔からメシアの乗り物だ。偶像は倒れ、無慈悲な死は征服される。
しかし、それも、悪しき我等にとっては、何ら報われることの無い、苛酷な炎の審判に過ぎない。