かずん氏のリクエストに応えての翻訳である。
この歌は、本当に沢山の人が歌っている。実は、知らなかったのだが、Bob Dylan も歌っている。一番有名なのは、Nitty Gritty Dirt Band かな。Jerry Jeff Walker 本人より有名かもしれない。かずん氏は、Sammy Davis Jr. のが好きなんだそうだ。
原詩は、"Mr. Bojangles lyrics" で検索すると、いくつも引っ掛かる。少しずつ違って、どれが Jerry Jeff Walker が書いたそのままのものか、よく判らない。が、まあ、だいたい、上に掲げたようなところで、大きな違いはない。
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日記(6月7日)でも書いたように、Sammy Davis Jr. の "Mr. Bojangles" を聴きながら酔っぱらって上機嫌になった(と思われる)かずん氏は、CD に付いているカードのいい加減な英語の歌詞を引用して、「訳せ」とばかりにメールを送りつけてきたのである。しかし、よく見てみると、メールの宛先はまれびと氏であり、僕には、CC で、言わば事のついでに、送信されていたのであった。ありゃ、二股かけて、僕は「すべり止め」ですか。良く言っても、公開競争入札ですな。僕は、しかし、敬愛する従兄の機嫌を損ねたくない一心で、しこしこと翻訳に取り掛かったのであった。
まあ、下手な嫌味はそれぐらいで措くとして、単に訳してみたくなったから訳した、というのが本当のところだ。まれびと氏との競作も楽しいことだから、全然、問題は無い。
と言うわけで、まれびと氏の訳も出て来た。いつものことながら、良い訳だ。僕のを参考にしてくれたそうだが、こっちも、彼のを見て、ひそかに改訂を行なった。ほぼ完璧になったと思う。
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老人と青年は合うんだな、と思う。
この間、保育所の参観日に聴いた講演で、人生には波があって、夢を見る年代と現実を生きる年代とが交互に訪れるのだ、という説を聞いた。乳児(赤ん坊)は基本的な欲求(食欲とか睡眠欲とか)に従って現実を生きる年代、言葉を覚えた幼児はおとぎ話のような物語の中で生きる年代、少年は遊びを通して現実の世界の中で生きる年代、そして、青年は夢を見る方、壮年(中年)は現実を生きる方、老年は夢を見る方、という訳だ。そして、現実的なもの同士が息が合い、夢を見るもの同士が息が合う。だから、老人には赤ん坊の世話はつらいが、幼児の相手なら大丈夫だ、と。そう言われてみると、そうかも知れないと思う。
ボージャングル氏は老人で、語り手はおそらく青年だ。そして、ムショという、それ自体が現実の世界から隔離された場所で出会っている。老人は、壮年の自分を振り返って、夢を話すように遍歴を物語る。青年には、まだ、語るべき自分の遍歴は無い。彼には、青年に有りがちな、最初の挫折体験があるだけだ。
壮年(中年)にとっては、人生は現実そのもので、それについて一歩引いた場所から語ることは難しいだろう。老人と青年にはそれが出来る。夢のような話になって、現実主義者の壮年(中年)には、意味が無いかもしれないが。